お盆ですね。世間では夏休みですが、僕の職場では盆も正月もないので、悔しげな彼女と駆け込むパシフィックホテル的なアレができません。
まあ、せっかくだからということで、帰省はしてきました。(徒歩15分)
原稿書いて、チャップリンの映画を観て、晩ご飯を食べたあとに。(徒歩15分)
高速道路の渋滞にハマることも、新幹線の席が取れずに立つハメになることも、「お前、そろそろ結婚はしないのか」って言われることもない帰省です。(徒歩15分)(最後は関係ないよ)
ビッキー・ホリディです。
文学界のニコラ・テスラを目指し(意味は自分でもわかっていない)、彼が稲妻博士と呼ばれていたことから、僕もスズキのイナズマというバイクを買ったことだし、稲妻文士を自称していました。事故りました。納車して3日という、まさに電撃的な出来事でした。うまいけど笑えない。
さて、今日は「マリーの部屋」の話をしたいと思います。
マリーの部屋とは、思考実験のひとつで「スーパー科学者マリー」とも呼ばれています。
内容は、白黒の部屋で生まれ育ち、テレビや本、あるいはパソコンなど、すべてが白黒で、白と黒しか知らないマリーがいるとします。そのマリーは、部屋にあるツール(もちろん、すべて白黒です)であらゆる「色」についての勉強をして、他人がどういう場合にそれを「青」と言うのか、なにを「赤」というのかなど、色彩や色覚など、色に関する全ての知識を得たものとします。
さて、そのときマリーが、いまいる白黒の部屋から出て、実際にあらゆる「色」を認識、経験したとき、なにが起こるでしょうか。新しくなにか知識を得ることはあるのでしょうか。というものです。
これって、「ソープへ行ってでも童貞を捨てる必要はあるのか」っていう問題と似ていますよね。
僕は唯物論者ではないので、マリーの部屋でも、勉強して得た知識と経験によって得られたものとは違うものがあると思っているのですが、ただ、ソープへは行くことはないんじゃないかなあと思うんです。このジレンマ。ここで新しい思考実験が始まるわけです。
泡姫マリーのジレンマとでも名づけましょうか。