あるとき、仕事の休みに、派遣でバイトをしていたことがありまして、今日はその話をちょっとしたいと思います。
そのバイトは、派遣なのでもちろん、その日によってやることは違うのですが、まあ、だいたいが単純作業です。わけのわからない書類の入った段ボールをひたすら積んでいったり、ベルトコンベアーから流れてくる化粧品の販促グッズの部品を組み立てたり、本の景品を裏表、縦横揃えて並べていったりなどなど。
単純作業自体は嫌いではないので、黙々とやっていたのですが、なんていうかその、やっぱりものには限度がありますよね。
とにかく、1分が長い。
「このベルトコンベアーは何秒に一回商品が流れてくるから、この作業を何回繰り返せば何分経ったことになる」なんて、考えてることはそんなことばかりです。
それでも、頭を使わずに手だけ動かしていればいいのですから、これで日当7500円はずいぶんもらえてるな、と思っていたわけです。休日にボケーっとしてるよりはずっと有意義だな、と思っていたわけです。
ただ、いまはもう、派遣はやっていません。正直に言って、嫌気がさしました。二度とやる気はありません。
それというのも、とにかく、派遣社員には人権がないんです。これはもう、れっきとした事実です。もう一度書きます。派遣社員には人権がありません。それは、僕が決めたわけではなく、僕が始めたときにはもう、当然のことのように、まるで反戦主義者が特高警察にしょっぴかれるのを「あいつは非国民だから」と陰で言うように、もっといえば人々がグラム幾らで売られてる豚肉を見ても涙を流さないように、あたりまえのことだったんです。
それを僕が感じたのは、ある日に出勤したときでした。まだ仕事をする前のことです。
僕はちょっと早めに職場に着き、缶コーヒーを買って、事務所の前の灰皿の前で煙草を吸っていました。僕は初めて派遣された場所だったので、社員の方に「ここで吸ってもいいですか?」と一応訊いた上で吸っていました。
すると、もうそこには何度も来ているのであろう、派遣のオバチャンが僕のところに詰め寄り、
「ここで吸っていいのは社員の人だけ!」
と言うのです。わけがわからなかったのですが、僕はすみませんと言い、「どこで吸えばいいんですかね」と尋ねました。彼女は口裂け女に怯えながらハッカ飴を口で転がす少女のような目で、「あそこのトイレの横。灰皿はないから、自分で始末して」と言い、キョロキョロと周りを見渡し、「5分前には用意して来るのよ」と吐き捨てるようにして言い残しました。
また別の職場では、制服に着替えなくてはならず、僕はなにも言われていなかったので、カッターと軍手しか持っていませんでした。更衣室のどこを探しても、制服はありません。僕以外にも戸惑っている人がいました。やがて、そこにも慣れた派遣社員の人が来て、おもむろに着替えはじめました。
制服は、ロッカーの脇に山積みになっていました。前に誰かが着て、終わって脱いで、そのまま畳まれることもなく。僕らはそれを取り合うようにして、サイズもなにもあったもんじゃありません、とにかく制服に着替えました。力仕事ではないので、幸いにも臭いは少なかったのですが……。
仕事中にもこんなことがありました。
ベルトコンベアーに乗っているある商品に、部品をつけていく仕事だったのですが、そのベルトコンベアーの終点に最終確認をする、工場のパートのオバチャンがいまして、欠陥があるとベルトコンベアーを止め、怒鳴り散らすのです。休憩なぞもその人の号令に従って始まり、終わるのです。彼女は全権を掌握した覇者のような面持ちで、丹念に商品をチェックしていくのです。まあ、普通にやっていれば、ミスなぞ起きようもない、単純な仕事です。ミスをするほうが悪いのですが、それにしても彼女の派遣社員を見る、あのイヤアな目、風俗嬢に終わったあと説教をするジジイのような、ある種のイヤラシさを孕む目つきには辟易としました。そのくせなにかの拍子でベルトコンベアーが止まると(割とよくあることだったのです)、社員の男にはちょっとした甘えたような声で、それを報告するのです。
工場では、このように完全なカースト制が敷かれていたのです。つまり社員>パート>派遣社員というカースト制が。そして、パートと派遣社員の間には、厳格な一線が引かれているのです。そこで人間以下かそうでないかが分かれるのです。
仕事前に満足に煙草も吸えず、洗濯もされていない制服に着替えさせられ、人のアラを探すことしか能のないババアに罵られ、休憩時間には曇り空を見上げながら「あと何回あの作業をすれば解放されるのだろう」と思うか、せっせと携帯で明日の仕事を予約するか……。
それでも、それでもしょうがない、7500円を貰うためならしょうがない、とふつふつと湧き上がる感情を抑え、淡々と手を動かしていました。
ただ、ある日のお昼休み、中年のオッサンが二人でなにかを話していたのです。僕はそれを聞くでもなく、一人で煙草を吸っていました。
「なあ、お兄ちゃん、あんた若いんだから、安定した仕事に就いたほうがいいぞ」
「資格取って、介護を始めようかと思うんだよ、あんたも介護はどうだ?」
僕はそのとき、ただ、苦笑いしかできませんでしたが(介護職を本職にしているわけですから、いろいろ思うことはあるわけです)、心の中のなにかがプツリと切れたのを感じました。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!!!!!!!!
それから僕は考えました。なにが嫌なのかを。
別に派遣社員として来た自分の人格やプライドを踏みにじられたのが嫌だったわけではありません。
僕は、僕が嫌だったのは、ほかの派遣社員のルサンチマンが嫌だったのです。
煙草を吸っていた僕を注意した彼女の、「社員さんにバレたら私が怒られるかも」という怯えた目、ミスを指摘された人がパートに平謝りするときの死んだような目、昼休みに派遣会社に電話しているときの必死な目、煙草を吸っているときの煙のように濁った目。目、目、目。
彼らはいうのです「資格があれば」「もっと真面目にやっておけば」「勉強しておけば」……
僕は言いたい。
後悔は墓場でしろ、と。
資格がないならいまから取れ。真面目にやっておけば?いまから真面目に生きろ。勉強なんかいまからでもできる。なぜ諦める?なぜ逃げる?なぜ満足する?
人生は満たされた時点で終了だ。飢餓感があってこそ人は学び、成長する。なぜ戦わない?学ぶということはとどのつまり戦うということだ。戦わずしてなにかを得ようなんて発想がそもそも論外だ。汗をかき、血を流し、涙を枯らせて、ようやくなにかを得ることができる。それを誰かが右往左往して準備を整えてくれるのを待っているような人間にチャンスを与えるほど世間は甘くない!!
チャンスとは常にギリギリの人間に訪れる。熟慮に熟慮を重ね、辛抱に辛抱をし、数キロ先にわずかに灯るロウソクの灯、それがチャンスだ。だからたいていの人間は見過ごす。あるいは知らぬうちにその灯を消してしまう。
そのチャンスを逃し続けてきた人間を見るのも嫌だし、そういう人間が性懲りもなくまだ愚痴を言い続けているのを聞いているのも嫌になったのです。僕の仕事には、そんな人間を見ることは含まれていないはずです。ただ、黙々と作業をする。それが僕の日当7500円の仕事のはずです。
そう思えば思うほど、僕は派遣社員をやっているのがバカバカしくなり、電話がかかってきても無視するようになりました。
いま、仕事をしない代わりに僕がしていることは、食費を削ることです。
半月で3キロ減りました。それでも派遣をもう一度やろうという気にはなりません。