この話を、本音を言えば書きたい。そう長年思っていた。
だけど、読んでいて楽しいものではないし、思い出すこともまた抵抗があって踏ん切りがつかなかった。そしてなにより、読者に不快感を与えそうで怖い。
でも、あまり考えすぎす、とりあえず書いてみようかと。実は大したことはないのかもしれないし、取るにならない話なのかもしれない。
時間を遡って、20年くらい前、つまり小学校に上がる前の年齢だったころ、僕は喋るのが好きで、ひっきりなしに喋っていた。その日にあったことを、親に喋ることが大好きだった。
しかし、ある日に父親に言われた。
「お前の話はつまらない」
と。そのときも嬉々として喋っていたのだけど、僕はそこで口をつぐんだ。もうそれ以上話すことはできなかった。そして、それ以降、僕は喋るのが怖くなった。まさか自分の話が相手に不快感を与えていたなんて。ましてや親さえも僕の話なんて聞きたくなかったとは、当時の僕の想像の範囲外の事実だった。
それから僕は、なるべく発言をせず、相手の喋るがままに任せるようになった。じっと、ひたすら聞いていた。あまり面白いことではなかった。
会話において、相手を楽しませようと喋る人はほとんどいないということに気づくには、まだまだ時間が足りていなかった。
僕はひたすら耳を傾けた。どうしたら面白いと言ってもらえる話ができるかを学ぶために。
そんな中、小学校に上がり、作文を書く授業があった。作文を書くのは好きだった。なんだかわからないけど、とても楽しかった。先生から褒められたこともある。
そして、通っていたそろばん塾の合宿の感想文を書いたとき、その塾はとても自由な塾で、どんなことを書いてもいい、とにかく面白ければ、というところだった。
そのときの感想文を、塾の先生に褒められた。滅多に褒めない先生に「お前は文才がある」と。
これが覚えている限りでは、初めて人になにかを真正面から評価された初めての経験だったと思う。学校でも褒められたが、塾の先生のように真正面から率直に評価されることはなかった。
この一件で僕は将来は物書きになろうと決心をした。喋るよりも人にうまく伝えられるし、なにより僕の書いたものは面白いと言ってくれた。
それからというもの作文を書く機会があると僕は嬉々として書きまくった。クラスのみんなが鉛筆で遊んでいる中、僕は黙々と書いた。
中学生になって、パソコンの授業があった。ネットサーフィンをするという、ほとんど遊びに近い授業だった。そこで僕は「僕の見た秩序。」というサイトを見つけた。腹を抱えて笑った。僕のテキストサイト(僕秩は写真素材サイトだけど)との出会いだった。
作文の授業も毎日あるわけではなく、僕は自分の表現欲求がくすぶっていた。すぐに携帯電話でテキストサイトを作った。
そのサイトは移転を繰り返しながらも高3まで続けていた。日に200~300人くらいの人が見に来るようになっていた。僕はそろばん塾の先生が言った「お前には文才がある」という言葉が確固たるものになった気がした。
僕はこの頃、エッセイストになりたかった。いろいろな本を読んでいた。小説に限らずエッセイからドキュメンタリーも読んでいた。図書室の怪人20面相シリーズは全部読んだ。伝記も片っ端から読んだ。
高校に入ってバイトを始めると、小説を本格的に読むようになった。
高校の図書室で「エッセイストになるには」みたいな本を読んで、その内容は一言で言えば「まずは有名になってください」だった。まあ、確かに無名のエッセイなんて誰も興味なんて湧かないわな、と納得した。
その頃、小説にハマってアホのように読んでいた。そのうちに小説を書きたくなってきて、僕は大学へ進学したら、小説を書いて批評しあう活動をしているサークルへ入った。なので小説を書き始めたのはいまから8年ほど前ということになる。
学生時代は短編小説をひたすらに書いた。書いて、ボロクソに言われ、反省点を踏まえてまた書いて、ボロクソに言われ……また逆もしかり。延々とそれをやっていた。
そうするうちに小説を書くことの楽しさを覚えて、エッセイストではなく小説家になろうと思った。
で、いまに至る。
僕はいまでも喋るのが怖い。頭の中が真っ白になってしまう。ひどいと冷や汗もかく。
僕に与えられた表現方法は文章なのだと、そう思っている。
いまでは、たとえば電車に乗っていても、その車内、窓の外を頭の中で勝手に情景描写している。もう残されているのは、小説しかないから。だから書いている。
家族と会話もできず、でも自分の話も聞いて欲しい、そのときの寂しさがいま書いている原動力なんだと思う。面白いものを書けば、みんなが僕に興味を持ってくれる。そして僕はみんなを楽しませたい。
父の言葉は、いまでも胸に突き刺さったままだけど、それは独りよがりな自分への戒めなのだろう。もう二度とあんなことを言われたくない。面白いと言って欲しい。笑って欲しい。感動して欲しい。
それが、僕の作家を目指す理由です。