どうしてそんな気になったのか、そんなこと説明を求められても無理だ。そこには理由なんてないし、ないからこそ、そんな気になったのだろう。……これで満足してもらえなきゃ、もうどうすることもできない。
仕事の帰り道、いつものように冷めた惣菜を買って家まで歩いてたんだ。別に急いでいたわけじゃない。誰かが帰りを待っているわけじゃなし、温かい夕飯が冷めてしまうわけじゃなし。
で、アパートのある路地に入ろうってところに、ぽつんと占い師がいたんだよ。ほら、よくいるようなやつだよ。こんなところで珍しいななんて思って通り過ぎたんだ。そう、最初はね。ただ、なんとなく、好奇心とでもいうのか、それも違う気がするが、とにかく気がついたらそこに座ってたんだよ。
「自分には他人にはできないなにかができるはずだ、なんて、いつまで思っているつもりだい?」
そいつはおれが座るなりそう言ったんだ。手相も見ず、生年月日も聞かずに。
「そんなことを思っているうちには、なあんにもできないよ」
おれは言うべきことが見つからないまま黙ってたんだ。
「つまらない人生……それを感じるのはあんた次第……幸も不幸もあんたの感性だよ」
そいつはそう言っておれの手を握ったんだ。生暖かくて、いやあな気分になった。
「どうしても嫌になったなら、そいつを飲んで逃げてしまえばいい」
手の中を見ると、錠剤が1粒、そこにあった。
「――逃げたら最後、二度と帰ってこられないからね」
おれの人生ってなんだろう、なんのために生きているんだろう。
その答えが無いから、漠然と――あの占い師が言っていたように――「自分にはなにかができるはず」なんて思っていたのかもしれない。そう思っているうちは、多少でも未来に希望が持てるから。
高校、大学とあまりパッとしない青春時代を送って、社会人になってもとくになにがあるわけでもなく、仕事と家の往復で、たまの休日も寝ているか酒を飲んでいるかのどっちかで、気がつきゃもう若くはない。
この錠剤は、そんなおれからすりゃ、いますぐに飲んでしまってもいいものだった。
あの占い師いわく、飲めば眠くなってきて、目を閉じたらそれで終い。0.3ミリグラムの魔法で死ねるってわけだ。
おれはこいつをいつ飲もうか、しばらくの間考えていた。別にいつだって構わないが、いつだって構わないからこそ、いますぐに飲むものどうかと思っていて、そうしているうちに時間ばかりが過ぎていった。
しかし不思議なもんで、いつでも楽に死ねると思うと、なんだか背負っていた荷物が急に軽くなったような気がして、ちょっとばかし世界が違って見えるのだった。
出勤の満員電車で、朝から泣き喚くガキにはいつもイラついていたが、それも小さいうちは泣くのが仕事だからなと可愛く思えさえしたし、急に雨が降ってきてズブ濡れになっても、のべつ晴れていて干からびるよりはマシだと思えた。
いつものようにスーパーで冷めた惣菜を持ってレジに行ったとき、おれは自然と「ありがとう」と言っていた。ありがたい気持ちなんてそこまでなかったが、口に出していた。
テレビをつけると、面白くもないタレントがギャンギャン騒いでいた。それを見ながらさっき買った惣菜と白飯をつついている。
なんて言ったのか記憶にも残らなかったが、テレビのタレントが言った一言でおれはつい笑った。
笑いながらメシを食ったもので、むせこんだ。
水を飲んで落ち着くと、なんだかこれはこれで悪くないもんだと思った。
なにがって?
くだらないテレビや、うまくもないメシや、おれの人生が、さ。
あの錠剤はいまでも家にある。
いつ飲むのかは、まだおれにもわからない。