10歳にして菓子に動かされ、20歳にしては恋人に、30歳にして快楽に、 40歳にしては野心に、50歳にしては貪欲に動かされる。 いつになったら人間はただ知性のみを追って進むようになるのであろうか。――ゲーテ
ビッキー・ホリディです。
休みでした。前の休みは免許の更新とかで潰れてしまったので、今日はのんびり過ごそうと決めていました。
体調もよかったので久しぶりにショーペンハウアーでも読むかと。全集買ってもう3、4年経ちますが、読んだのは15巻あるうちの7巻の半分。ちょうど真ん中です。この調子でいくと全部読み終えるのにあと4年かかります。マジか。
この全集、白水社のものなんですが、普通に買うと7万以上します。僕も当時、文庫で出ている著作は全部読んで、全集欲しいなあ……と思っていたのですが、まあ、7万なんて手が届くはずもなく。
それをなぜ僕が持っているのかというと、古本屋で安く手に入れたんです。2万ちょいでした。どうしても諦めきれなかった僕は、ネットで必死こいて中古を探していました。でもAmazonでは中古でも6万ちょい、よそじゃ取り扱ってない、と南無三、ここまでか、とうなだれました。ですが、神!保!町!で!見!つ!け!た!ん!ですよ!!!(cv.藤原竜也)
しかも価格は三分の一。僥倖……っ!!
そんなわけでちびちびと読んでいます。いまの巻(第7巻)で主著となる『意志と表象としての世界』は完結します。(前半は正編、後半は晩年に書いた続編)
正編の冒頭で「本当に理解したけりゃ、オレ様の本は2回読め」とショーペンハウアーは書きました。ざけんなクソジジイ。……でも、たぶんまた読んじゃうっ(ビクンビクン
内容は難しいですが、がんばればわかる、って感じです。がんばってます。
で、今日はそれを読んでいたのですが、読んでいてなぜか集中できない。気が散る。おかしい。この青空の下、陽の射さない薄暗い部屋で、BGMはショパンで、目覚めもよく、睡眠時間も問題ない、朝食を済ませ、シャワーも浴びた。そう、つまりコンディションは完璧だ。なのになぜか気が散る。
僕は1章読んだところで本を閉じ、本を読むのを諦めました。そう、なぜ気が散るのか、原因はこれしかありません。
部屋が汚ねえ。
そこからは鬼の掃除タイムです。おこたの布団を洗うついでにしばらく干してなかった布団や掛け布団、タオルケットなどなどをコインランドリーで洗って乾かして。その間に部屋を片付けて掃除して。
終わったころには夕方でした。
っていうか、コインランドリーって結構いい値段しますね。まあ、家じゃできないからしょうがないんですが、今日、諸々洗って乾かしてってやってたら4000円近く使いました。
ウチにバルコニーがあればいいんですが、無いし。おまけに西日しか差さないし。
夜、なにもやることないけど寝るには早い、って感じになり、久しぶりにマーラーでも聴くかと、交響曲第6番「悲劇的」を聴きました。
そういえばクラシックって、いまみたいに記事書いてるときとか、読書してるときとか、あとは朝ごはん食べてるときとかのBGMでしか聴いてなかったので、こうしてガチで聴くのは初めてだなあと。
で、聴いていると、いつの間にか違うことを考えていたり、些細な物音が気になったりと、まるで集中できません。そうこうしているうちに曲が終わり、やっぱりクラシックは難しいと思いました。指揮者がどうとか、そういうレベルで話せる人はすごいですよね。僕は全集を買って、それをHDDに落として聴いているので。
……薬を飲んでそろそろ3時間が経ちますが、一向に眠気が来ません。
そろそろ終いにして、今度は眠くなるまで交響曲第1番「巨人」を聴いていようと思います。