飲んだくれるときというものは、だいたいが疲れているときだ。そういうときに酒を飲むともっと疲れる。それはわかりきったことだ。なのになぜ飲む?
疲れ果てて寝ちまいたいからだ。そうして喉の渇きで目が覚める。決して良い睡眠とは言えないが、少なくとも遅刻はしないで済む。
遅刻。
なあ、おれたちはそんなものを恐れているのか? そりゃあ他人には迷惑かけるし給料だってさっぴかれる。いいことなんてなにもない。ただ、おれがいいたいのはそういうことじゃない。うまくいえないが、そんなことにケツの穴を縮こまらせてるようじゃダメなんだ。だってそんなんじゃまるで自分はガラクタだといってるようなものじゃないか。自分はカラスにつつかれて破れたビニール袋からこぼれたキャベツの芯だと。自分は夏場の用水路に浮かんでいるザリガニの死骸だと。自分は国道を平気で横切る年寄りが乗ってるチャリのベルだと。
虚栄ともいえるほどのプライドは邪魔なだけだが、まるで無くしてしまっては生きている意味はない。まあ、なかには死んでやっと人の役に立つような奴もいるわけだが。だとえば? そうだな、SNSやブログなんかで「心が温かくなるエピソード」とやらを広めまくってる奴なんかはそうだろう。ふざけんなって。お前なんかより電子レンジのほうが役に立つっての。心配しないでもこの時代は、この世界は、日本は、同級生は、おれは、そんなさめざめしい生活はしていない。「いまのボクたちには足りないものがある」なんていうようなその喪失感は、とどのつまりお前の心とアタマが空っぽなだけなんだよ。油粘土でも詰めておけよ。
そうはいってもなにもかもがカリカチュアライズされた環境でなにかをやっていくってのは大変だよ。ただでさえなにかを「やる」ってだけでもしんどいってのに、それを揶揄されちゃたまったもんじゃない。出る杭は打たれることを知りながらもなにかを発信しなきゃ生きられない。
SNSは心のつながりなんてふやけた耳クソみてえなことを平気でほざく奴がいるが、おれはそんなことは断じてあり得ないという立場を取るね。いくら知り合いにバレてようと、実名でやっていようと、だれしもがスケープゴートを用意してるんだよ。アバターといってもいい。それは完全にキャラを作るという意味だけじゃなく、「あのときはそういう風に考えてたけど」なんて言い訳も含まれる。狡猾な奴はその両方を使い分ける。
そもそもネットの大前提に「眉に唾をつける」というものがあるということを忘れると痛い目を見るかもしくはバカを見る。疑心暗鬼の世界でどう心をつなげようってんだ。溶接じゃねえんだぞ。
それなのに、いや、それでもなお、というべきか、ネット上で知り合いにねちっこくくっついていないといられないんだよな。まさに相互監視社会。東條英機もジョージ・オーウェルも、苦虫を噛み潰した表情しかできないわな。
しかしだからといって、秩序は、良心は、個人は守られているかといえば、決してそうではない。なぜかって簡単だよ。すべては虚構、おもちゃ、絵に描いた餅なんだから。嘘。ウソ。うそ。このいいかたが気に食わないなら、本当のことをいっていない、でもいい。つまりはボタンひとつでハイ、終わり。
電脳の悪魔は人の心そのものだ。そんななかでうまくやっていくには信じないということを信じるしかない。
まったく、くそったれな話じゃないか。泣けてさえくるね。こうなってくると現実でさえ必要なくなってくる。足元が3センチくらい浮いたまま生きてるようなもんじゃないか。
うつし世は夢、夜の夢こそまこと。死ぬなんてことは、夢から覚めるようなものだ。つまりはスクランブルエッグのようにぐちゃぐちゃなんだ。そう、なにもかもが。それを悲観することはない。そうであるならば蜃気楼だって立派な物質なんだから。
ああ、世迷言に思えるだろう? しかしどうだ? 酒でも飲んでみろ、すぐにこれが現実味を帯びてくる。だから飲んだくれるのさ。軋轢に疲れたとき、人は迷う。酔いどれの詩人だけが真理を語るのさ。だが残念ながら、それはおれじゃない。
「人生は見かけ通り醜いが、あと三、四日生きるには値する。なんとかやれそうだとは思わないか?」
生きるのがバカバカしくなったらこの言葉を思い出せばいい。言葉の意味?それはいままでおれがいってきただろう。つまりどういうことかって? そこまでいわせるのかい。まあ、いいさ。じゃあ、目を閉じてごらん。さあ、君にはなにが見えた?
つまりそういうことだよ。
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